黎明期(テープ時代) 光栄編
KOEI、当時は光栄マイコンシステムから「信長の野望」が発売されたのは1983年のことだった。NECのPC8801用。メディアはカセットテープ。ゲームを始めるまで10分以上読み込まなければならなかった。でもゲームは面白かった。それまでにも面白いと感じさせる日本のゲームはいろいろあったが、ゲームの反応速度が遅かったり、ゲーム側の思考があまりにも弱すぎたり、ボードゲームファンを本当に満足させるものはなかなか見つからなかった。そんな時に出てきた「信長」が夢中にさせる最初のものだった。
光栄は「信長」以前にも注目すべきソフトをいろいろ出していた。日本のパソコン創生期を飾ったNECのPC8001用に「地底探検」「投資ゲーム」「川中島の合戦」「銀河戦略」などビジネスもの、ロールプレーイングm戦略級と、戦術級のシミュレーションとラインアップはそろっていた。いま手元にないのではっきりとタイトルは分からないがアメリカ人気TV番組をもとにした「コンバット」(「または「サンダース軍曹」か)というのもあった。
光栄の初期作品「地底探検」 | 「川中島の合戦」西武で3500円 |
「銀河戦略」。初期で唯一のイラスト入り。 | ビジネスゲーム「投資ゲーム」。光栄は後にもっと本格的なものも出した |
最初はアスキーなどのパソコン雑誌の広告を見て、栃木県足利市の本社から直販で買った。その後地方のデパートやパソコンショップなどでも並ぶようになった。プログラムの大きさはいずれも8001の限界の32Kしかなかった。
値段は地底探検が4500円、川中島が3500円、投資ゲームは少しお高くて5000円だった。いまの500メガバイトもあるゲームと比べるとプログラム単価はものすごく高い。
ゲーム画面はほぼモノクロ。キャラクターは点でしかなく、表記はすべてカタカナ。漢字やカラーを使うようなプログラムのゆとりはもちろんなかった。ゲームをするにはゲーマーも想像力が必要だった。ひとたびゲームの世界に入り込むと点が怪獣に思え、ドットが消えると仲間の死を感じた。
8801には「空中戦」「ノルマンディー上陸作戦」という本格的な戦争ゲームも出てきた。「空中戦」は編隊同士の空中戦でゼロ戦隊を指揮し、米軍と戦うというもの。もちろんマヌーバーなどの機動はできなかった。「ノルマンディー」についてはあまり中身について記憶がない。ゲームをやりやすくするためにボードや駒を別売していたほどで、面倒だったのか反応が遅くてやる気にならなかったのか。
テープ時代の最後には第2次大戦のドイツの最後の賭となったバルジ大作戦をテーマにした本格シミュレーションもの「アルデンヌの戦い」を出した。これは、各師団そのままシミュレートされ、画面がスクールした。 |
結局光栄はその後これら戦争ゲームシミュレーション路線を「提督の決断」を除いてほとんど捨ててしまった。いまからみるとそのまま続けてくれたらすごいゲームが出ていたような気もするが、当時は一部の物好き以外にはあまり売れなかったようだ。
本格シミュレーション「ノルマンデ ィー上陸作戦 |
編隊飛行の戦い「空中戦」 |
【信長の野望】
最初の信長の野望は、画面は全くスクローズせず、国も中部を中心に近畿と東海、信越の一部の17カ国しかなかった。1ターンは春夏秋冬の季節の一つで、内政のコマンドが目新しかった。
【カセットテープ】黎明期のパソコンはハードディスクはもちろんフロッピーディスクさえついていなかった。プログラムは直接打ち込むかまたはテープに保存、読み込むしかなかった。パソコン専用のカセットテープが販売されていた。大きなプログラムとなると読み込むのに10分以上かかった。しばらくすると画像データも入るソフトも出てきたが、画像を読むために数分ゲームがストップしてしまった。