鞆の浦、冬でも穏やかな海、歴史の街

鞆の浦は大阪と下関を結んだ瀬戸内海のほぼ中央にある。中国地方の海岸線が緩やかに海に突き出した緩やかな半島の先にある古来からの港だ。周囲に島も多く帆船時代、風待ちや嵐を避ける湊として賑わった。冬の晴れた穏やかな天候の日鞆の浦を訪ねた。

 鞆の浦は広島県福山市鞆町。瀬戸内海の潮流がちょうど流れが変わる場所で潮待ちの場所でもあり、万葉集には大伴旅人にも詠まれている。南北朝時代には九州落ちした足利尊氏が再び京に攻め上がるとき光厳上皇の院宣を受けた血だ。室町時代末期には織田信長に京を追われた足利義昭が毛利氏の庇護を受けてこの地で再興を目指し、「鞆幕府」とも呼ばれた。

 江戸時代には朝鮮通信使が江戸に向かうときに帰港するなど歴史の舞台となってきた。江戸時代からの街並みや港の施設がしっかりと残り1925年には国の名勝に、1934年には日本で最初の国立公園、瀬戸内海国立公園の一角に指定された。

 宮崎駿監督がアニメ映画「崖の上のポニョ」の構想を得た地といわれ、映画やテレビドラマのロケ地にもなっている。盲目の作曲家、宮城道雄は目が不自由になるまで父の故郷の鞆で育ち、そのときの印象を箏曲「春の海」にした。

 鞆には山陽新幹線の福山駅で降りてバスで向かう。かつては福山から鞆軽便鉄道が通っていて1954年に廃線となり、その線路跡が県道となっている。鞆鉄道というバス会社の名前に鉄路の名残がある。福山から鞆までは約30分。トモテツバスは福山市街地を抜けた後、芦田川を渡り、海に出る。海沿いの道を5分ほど走ると鞆の浦に到着する。

 鞆線の終点、鞆港は湾になっている鞆漁港に面している。ここが鞆観光の出発点にもなる。鞆は明治時代から街並みがそのまま残っているところも多く、狭い路地が迷路のようになっている。

 海沿いには船の目印となる「常夜灯」や船着き場の「雁木」など湊の遺構が残っている。

 湊を出発して鞆の街を歩いてみた。湊からは街は少しずつ高くなっていく。寺が並んでいる地区や大きな神社もある。鞆で造られている薬用酒「保命酒」が福山藩時代から知られていて、街のあちこちで酒造所や販売店の看板が並ぶ。

 江戸末期坂本龍馬が率いた海援隊の船と紀州藩の船が瀬戸内海で衝突事故を起こし、海援隊のいろは丸が沈没。鞆で坂本龍馬と紀州藩の賠償交渉が鞆で行われた。龍馬が泊まった宿や、交渉の場となった家が残っている。

 朝鮮通信使が滞在して、対岸の仙酔島と海の風景をと賞賛した福禅寺。この寺の迎賓施設対潮楼には「日東第一形勝」という額が掲げられている。

 海沿いには鞆温泉の何軒か旅館が並んでいる。海側に部屋が並んでいる。福山市の鞆出張所もあり、この屋上には自由に上がることができる。対岸の風景や鞆の街並みが一望できる。

 出張所から海沿いの県道を少し歩くと仙酔島への渡し船の乗船場に到着した。「平成いろは丸」という船で1時間に3往復、5分で到着するという。乗ってみることにした。

暮れゆく海、瀬戸内の鞆の浦から対岸の仙酔島の風景 昼から夜へタイムラプス動画

 船で仙酔島へ、遊歩道を散歩

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