加賀の誕生は日本最後
新潟を含めた北陸の国名をみると、越前、越中、越後とあり、その間に挟まれた加賀だけが、「越」という字がつきません。なぜでしょうか。
それは越の国の成立と分離に大きく関係があります。
越がいつ成立したか、はっきりした記録はありません。
高志とも呼ばれました。継体天皇が登場する6世紀にはもうあったと考えられています。
成立時の越前国は、現在の新潟県まで広がっていましたた。
国府は武生といわれていますが、最近敦賀説も現れ、論争になっています。越の向こうは中央政府が蝦夷と呼ぶ辺境の地が広がっていました。
しかし実際は、大陸との交流が盛んで、福井県松岡町の古墳には、奈良よりも百年も早い時代につくられた金の冠が出土するなど、文化の先進地でした。
まず7世紀後半に越前、越中、越後に分かれ、さらに能登が分離し、9世紀になってようやく加賀が独立します。
加賀は日本で一番最後に遅れて誕生した国でした。すでに越は分離されていたので「越」という名がつかなかったのでしょうか
越の国の誕生 | 越中と越後が誕生 | 能登の国誕生 |
能登を越中が併合 | 加賀が独立、5地域に | |
7世紀後半 越を越前、越中、越後に分割
718年(養老3) 能登の国誕生
742年(天平1)能登越中国に併合
757年(天平宝字1)能登越中から再独立
823年(弘仁14)加賀の国誕生
9世紀ようやく加賀が独立
明治初めに大石川県
福井県の誕生
石川県の誕生
富山県の誕生