登録文化財の旅館全焼、62年前の教訓は?

福井県あわら市の芦原温泉で5月5日大きな老舗温泉旅館が全焼した。温泉街の中心部にあり、メーンストリートに面した「べにや」だ。同旅館のホームページによると創業130年以上、芦原温泉はことし2018年で開湯135年を迎えることから、温泉誕生以来の老舗だ。

 

黒い煙を上げて燃え続けたべにやの火災

木造2階建てのべにや旅館は5日午後0時50分本館2階の大広間から出火し、風が強く、晴れが続いた乾燥し乾燥注意報がでている気象の中、燃え広がった。3100平方メートルという広い旅館の本館、中央館、東館と火が走り、ほぼ燃え尽きた。

芦原温泉は芦が生えていた低湿地帯から1883年(明治16年)お湯が湧き出していることがわかり、その数年後には最初の温泉集落が作られた。国鉄の金津駅(現在の芦原温泉駅)から芦原温泉まで支線がつくられ、京福電鉄の三国芦原線が福井市から通るなど関西に最も近い北陸の温泉、関西の奥座敷として賑わってきた。べにやも芦原の開湯当時からの老舗旅館だ。

戦前、戦後反映した温泉に1956年(昭和31年)に温泉街に悲劇が襲う。4月23日早朝の午前6時半、芦原駅前の食料品店から出火。数日前から高温乾燥のフェーン現象で10メートル以上の風が駅から北の温泉街方向に吹き、たちまち燃え広がった。「芦原町史」によると福井県内だけでなく石川県からも消防車がきたが貯水池の水は涸れ、水道ポンプも停電でとまり遠い農業用水だけが頼りの消火で6時間以上温泉街は燃えた。旅館16軒、民家309戸が全半焼するなど温泉街は壊滅した。この時べにや旅館も燃えている。

 

当時の芦原町は大火の原因のひとつは住宅や旅館の密集、狭い道路にあったとして火災に強い温泉街を目指し駅前広場の拡張、広い中心道路が南北に2本並行してつくられるなどの街作りが行われた。昔ながらの温泉情緒はない温泉街だが、すっきりと区画割りされた。べにやも再建され、いままで60年以上営業を続けていた。戦後の風情を残す旅館として芦原温泉ではただひとつ本館・中央館・東館の3棟が、国の登録有形文化財になっている。

今回のべにやの火災は乾燥、強風と悪条件が重なった。それでも近くの住宅は類焼したものの、温泉街全体に広がらなかったのは広い区画割が生きた。べにやは前後は2車線の道路が走り、横の旅館とは1車線幅の道路で隔たれている。べにやの一角だけは後ろの住宅を含めてほぼ1ヘクタールの広さがある。

本館2階大広間付近から出火。南西の風にあおられ北東方向へ燃え広がった。でも東側は広い庭と広い道路、さらに道路の先には公園と火の粉はその向こうまで飛んでいかなかった。北側の旅館は鉄筋コンクリート造りで壁の一部が煙で少しすすけただけだった。

今回のべにやの火災は芦原温泉にとって大きな痛手だ。以前から廃業や倒産する旅館が続き、昭和天皇が宿泊されるなど名門の開花亭が2013年に営業停止し2014年4月に倒産した。開花亭とべにやが芦原温泉の2大看板だった。べにやから約100メートル離れた開化亭の建物はいまも無人のままだ。

倒産した開花亭

昨年2017年10月にはべにやの前の通りの南側突き当たりにある土産店から出火し6棟を焼く火事となった。この時も通りに区切られた1角の火事で済み温泉街への延焼は防がれた。しかしえちぜん鉄道あわら湯の町駅前広場の横で今も広い空き地のままとなっている。

あわら湯の町駅前で空き地となっている2017年の火災現場

5年後の2023年3月には北陸新幹線が敦賀まで延伸され、芦原温泉駅もできる。べにやの再建、開花亭の再生が待たれる。

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