「キエフの大門」はウクライナの原点

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なぜロシアはウクライナを理不尽に狙う

 「展覧会の絵」というクラシックの名曲がある。ロシアの作曲家ムソグルスキーがロシアの画家の展覧会をモチーフにしたピアノ組曲で、フランスの作曲家ラベルのオーケストラ編曲で有名になった。イギリスのプログレスロックバンド。「エマーソン・レイク&パーマー」の演奏も1970年代にヒットした。この展覧会の絵でもっとも盛り上がるが終盤の「キエフの大門」。ラベル編曲の組曲ではオーケーストラ高らかに響き、ELPはボーカルのグレッグレイクが朗々と歌い上げる。このキエフこそ2022年になってロシアによる侵略の危機が高まっているウクライナの首都です。

9世紀から「ルーシー(ロシア)の母のまち」

 ロシアはウクライナ国境に軍隊を集結、2022年になってさらに軍を増強し、15万にともいわれる大軍を派遣し、演習という名目で隣国ベラルーシ-などで軍事行動を繰り返しています。米国によるとロシアが侵攻すればキエフは数日で陥落し、数十万人の難民が発生する恐れがあるとのことです。

 あらためて家にあった歴史書などでウクライナとロシアの歴史を振り返りました。ロシアの歴史を記した「興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地」(講談社)によりますと、大ロシアの原点というべき町がキエフです。。9世紀の終わりにノルマン人が侵攻侵攻しこの地にキエフ国家がうち立てられました。キエフは初期のオレーグ大公から「ルーシーの町々の母となれ」と宣言されこの地の中心地となりました。キエフは歴史上名高いイーゴリ公らの活躍が知られ、イーゴリ公の死後東ローマ帝国との結びつきが強まりました。キエフのウラジミール大公がギリシャ正教の洗礼を受け広いロシアの地がキリスト教国家となります。

モンゴルの支配後モスクワが中心に

 キエフ国家が力が弱まってきた13世紀にアジアからジンギスカンの子どもたちによるモンゴルのヨーロッパ侵攻があります。キエフは強力なモンゴル軍団によって破壊されてしまいます。ロシア全体がモンゴルに支配された後、モスクワ公国が誕生しモスクワがロシア全土を支配しロマノフ王朝となり、キエフも18世紀末までもロシアに支配吸収されてしまい、大ロシアの一地域となります。世界に強大な力を持ったロマノフ王朝は日露戦争の敗戦などで力を失い、第一次大戦後レーニンによる共産主義解明で革命で倒されソビエト連邦が生まれます。最初のソ連に参加した(組み入れられた)のは、ロシアとキエフを首都とするウクライナ、ベラルーシ、カフカスの4共和国でした。1940年までに15共和国の連邦となった。ウクライナは形の上ではソ連の中心国でしたが実際はモスクワの共産党に支配されていました。

ソ連崩壊で独立国に

  ソ連は第二次大戦の勝利国でしたが、戦後東西冷戦が激しくなり次第に東西の格差がついていきます。東欧の衛星国でソ連離れが進み、東西ドイツが統一するなど共産主義国家が衰退、ソ連もペレストロイカで改革を目指しますがついに1991年ソビエト連邦は崩壊した。ウクライナは大ロシア時代も含めて3世紀ぶりに独立を宣言します。

 ウクライナについて学んでいくと、ロシアもウクライナも同じスラブ民族で歴史的にも一体のように思っていたが、実際には民族も言葉も違いがわかってきます。スラブというひとくくりで見てはいけないことが理解できます。

モンゴル侵攻で大門は破壊

 キエフの大門はキエフ公国ができた11世紀にできたといわれます。中世の城塞都市だったキエフの入り口の2階建ての大きな門でしたが、モンゴルの侵攻で破壊されてしまいました。

 なぜロシアはウクライナに侵攻しようとするのでしょうか。独立国家になぜ勝手に入っていこうとするのか。何の大義名分があるのか、どんな権利があるのか全く理解できません。

 全く理解できないのだがあえてロシアの立場に立って推測してみると、基本的にロシア人にとってウクライナはロシアの一部、ロシアの属国という意識が強いのだとおもいますう。ロシア意識を強く持って芸術活動を続けてきたムソルグスキーが作曲した展覧会の絵はキエフの大門でフィナーレを迎えます。ロシアの絵を描いた展覧会を見た組曲が最も盛り上がりロシア意識が高揚されるのがキエフの大門です。

戦略的重要地、独ソ戦でも犠牲

 ウクライナは軍事的に重要な地域です。ロシアから見ると東ヨーロッパに突出した国です。ソ連時代はベラルーシとともにヨーロッパへの最前線の国境でした。ヒットラーによるドイツ軍の侵攻でドイツの南方集団軍によってウクライナに展開していた南方集団軍は壊滅しキエフは陥落、住民は大きな被害を受けました。ウクライナの戦いで消耗していったことがドイツ軍のモスクワ進行を阻みました。ロシアの守りにとって重要な地域だったウクライナがNATOに入り、刃の方向を変える可能性があることが許せないのでしょう。

ソ連崩壊で独立ウクライナ人が多数

 ウクライナにとってみれば、ロシアによって常に大きな犠牲を強いられてきしました。ロシア以上に古い歴史を持つという誇りもあります。東ヨーロッパの中では面積も人口も多いウクライナです。民族的にもウクライナ人が多くウクライナ語が公用語になっています。ロシア人の比率は高いといっても20%程度。ソ連の崩壊でロシアのくびきから離れたウクライナ人にとって、あらためて侵略されるほど理不尽なことはありません。ロシア人の憧れの場所だったかもしれない「キエフの大門」は、ロシア人以上にウクライナの人たちのルーツの場所だと思います。

 今回のウクライナ危機をきっかけにウクライナの歴史を知り、ロシアとの関係を知り、ロシアの大義名分のない侵略に怯える思いをしっかりと受け止めたいと思いこの文章を書きました。

 ウクライナのNATO加盟阻止などを主張しウクライナを取り囲み軍事演習を展開していたロシア。2月15日軍の一部を撤退させると発表しました。NATO諸国やEUが結束してロシアが軍事行動を起こせば強力な制裁を行うと訴え続けたが効果を現したのでしょう。強力な金融制裁などが発令されるとロシア経済は苦境に陥るでしょう。ただロシアが何も得られないまま軍を引くとも思えないですし、軍事侵攻の構えを完全に解いたわけではありません。まだまだ緊張状態は続きそうです。

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