5月1日から新元号。日本の元号は大化の改新以来の1400年足らずの歴史。元々中国から始まりアジア各国に広まったが今では日本だけ

新元号は「大化」から数えて248番目、古代にはなかった

新天皇即位に伴う新しい元号が4月1日に公表され5月1日から新しい元号となる。平成まで使われた元号は247。明治以降は天皇一代につき一つの元号のため、元号の数は天皇と同じだと誤解している人もいるが、天皇のほぼ倍の247もある。元号が始まったのは飛鳥時代の大化の改新以降。元号を変えなかった天皇がいれば一人で8回も変えた天皇もいた。明治以降一つの元号が長く続き生活と密着され重視されていたが、江戸時代以前はしょっちゅう変わったため今ほどは重視されなかった。今回は即位しても元号が変わらない天皇もいた。孝徳天皇の時代蘇我氏を倒した時に中国王朝にならって「大化」という元号を付けたのが最初とされ、それ以前の古代史の天皇は元号がなかった。

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「大化」が最初、「大宝」から定着

 ミニ知識的に元号の歴史を考えると、元号は紀元前、中国の前漢時代から始まった。有名な漢の武帝が紀元前140年に「建元」という元号を打ち出した。それ以降ベトナムや朝鮮半島など中国の影響下にあったアジアの国々に広がっていった。日本では飛鳥時代に中大兄皇子(天智天皇)や藤原鎌足らが蘇我氏を倒したとき、中国のような天皇中心の国家にしようと初めて「大化」という元号がつくられた。いったん使われないこともあったが文武天皇時代の大宝律令で元号で年を現すことが定められた。中国をはじめ各国が廃止しても日本は701年の「大宝」から現在まで連綿と続いている。

8回も変えた後醍醐天皇

  江戸の女性天皇は改元せず

 明治以降は皇室典範で天皇一代に一つの年号と定められ、「明治」「大正」「昭和」「平成」と4つの元号しかない。しかし江戸時代までは風水害や干支に会わせて改元されることも有り、めまぐるしく変わる時代もあった。後醍醐天皇と後花園天皇は在位中8回も改元した。皇室が分裂した南北朝時代は南朝、北朝がそれぞれ年号を用いた。大化から平成まで247の年号が存在している。和同開珎の「和銅」、天平時代の「天平」、保元平治の乱の「保元」「平治」、建武の新政の「建武」。慶長小判の「慶長」、元禄時代の「元禄」、天保の改革の「天保」、安政の大獄の「安政」、江戸時代最後の「慶応」など歴史の教科書でおなじみの年号も多い。一方で「斉衡「康保」「長治」「永万」「寛喜」「徳治」「天授」「延亨」「弘化」などなじみのない年号も多数ある。天皇の名前は言えても、すべての年号をそらんじる人はあまりいないと思う。まして元号と西暦を一致させるのは至難の業だ。

最も長い昭和、短い暦仁

 最も長く使われたのは「昭和」で62年と13日。2番目に長いのは「明治」で43年9カ月と7日。30年を越えた「平成」は室町時代中期の「応永」の35年に続き4番目に長い。「応永」は後小松、称光の2人の天皇が用いた。

 最も短かったのは鎌倉時代四条天皇の「暦仁」で「略人」といわれ評判が悪く、わずか2か月と14日で改元されてしまった。という。江戸初期に即位した最後の女性天皇、明正天皇の在位15年は改元が行われなかった。鎌倉時代初期承久の変で廃帝となった仲恭天皇も改元がなかった。

 計247ある元号に使われた漢字はわずか72文字だ。天皇が自らの権威や独自色をアピールするとともに、長く良い時代になってほしいとの願いを込めるため、特定の漢字が繰り返し採用されている。最多は「永」の29回。「元」「天」各27回、「治」21回、「応」20回、「正」「長」「文」「和」各19回、「安」17回と続く。

 元号はほとんどが2文字。奈良時代、聖武天皇と孝謙天皇の時「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」のしりとりのような4文字の年号が現れた。

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